book.gif第25回 詩と思想新人賞 発表

受賞作品 「姨捨」 佐々木 貴子

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第26回 「詩と思想」 新人賞 選考経過

受賞作品 佐々木貴子
「姥捨」

 一九八〇年に創設された詩と思想新人賞は、途中約十年間の中断を経て、今回が第二十六回目に当たる。応募資格は「刊行詩集二冊以内の新人に限る」と限定し、本年八月末日消印有効で郵送応募された詩作品(未発表作品もしくは昨年九月~本年八月に同人誌、詩誌、詩集などに発表したもの)二一五を選考対象とした。

予備選考

 右記全作品に対し、五名の編集委員がそれぞれ「優秀」と認めるものに一点、「特に優秀」と認めるものに二点を与える形で、予備選考を実施。その結果、五点一、四点十四となり、高点順に十五を本選考対象作品として決定。各選考委員のもとに送付した。

本選考

 本選考は十月七日、高良留美子、郷原宏の両氏(森田進氏は体調不良により辞退)により、本誌編集部会議室にて行われた。
まず両選考委員が意見を出し合い、各候補作品をA~Cの三段階評価で採点したところ、青山晴江、漆原正雄、鹿又夏実、草野理恵子、黒田ナオ、佐々木貴子、葉山美玖、南原魚人の八作品が支持を集めた。そこで、これらの作品に絞り一ずつ詳細に検討。議論を尽くしたところ、両選考委員共に佐々木作品に「言葉のセンスが光る」「テーマを過不足なく表現している」と高い評価を与えた。その結果、佐々木作品を受賞作として決定。そのうえで残る七作品について比較検討を加え、青山、漆原、草野、葉山の作品を入選作とした。
なお、授賞式は明年一月八日(成人の日)に行われる「詩と思想」新年会の席上で行われ、副賞として受賞者の詩集が三年以内に土曜美術社出版販売より刊行される。(文責・一色真理)


選考を終えて

混沌としていた高良留美子

 今年の応募作品は、全体として地味で落ち着いていた。時代と同じように混沌としていたともいえる。しかしよい詩を選ぶことができて幸いだった。
受賞した佐々木貴子「姥捨」は、母への愛憎を自分の言葉で表現して詩的感銘をもたらした。具象語のなかに愛や死といった抽象語を違和感なくはめこんでいるのは、作者の力量を示している。友達が母になり、子を捨てた自分になる終わり方が、母への一面的な糾弾から作品を救っている。
草野理恵子「孤島/手の甲」は、水族館でトドに最後の芸をさせる飼育員の姿と、劣化した輪ゴムが〈私〉の手の甲に残す孤島のイメージが、心に残る。ただ〈私は私が彼を愛していることを知っている〉という行は、読者を混乱させる。むしろないほうがいいのではないだろうか。
青山晴恵「見えない夏」は、一連から続いてきたせっかくの期待が、最後の二連で断ち切れてしまった。事実の記録だとしても、放り出した感じがする。〈大洪水〉や〈変容〉への内面からのうねりが、最後に欲しい。
漆原正雄「見捨てられた家のなかで」は、敗戦前の日本のことだろう。映画館あとで泣いている子どものイメージはいいと思う。しかし全体に事実の調査と時代考証が足りない。爆撃機は高度一万m以上から爆撃するから、機関銃は撃たない。ガソリン不足と統制で車は少なく、ベビーカーは乳母車といった。ツバメは夜飛ばない。小舟はあったが、船は大方船長と船員ごと軍隊に徴用されていた。プラスティックもなく、電池はあったが電池式のラジオはなかったと思う。食糧は配給制で食パンはなかった。
葉山美玖「成人儀式」は、母を亡くして悲しんでいる少女が、母方の叔母に慰められて〈頑な少年〉から成人するというものだ。〈懐の貧しい〉叔母の関西風の慰めかたに、人間的な味わいとユーモアがある。
ほかに黒田ナオ「井戸の底」が印象に残った。暗い井戸、子どもの孤独、自分らしく生きなかったことへの悔恨……共感のもてるテーマだが、自分自身の言葉が欲しい。〈好きなものは好きじゃない。嫌いなものは嫌いじゃない。欲しいものは欲しくない。怖いものは怖くない。そうやって、捨ててしまった何もかもが、闇にまみれてこっちを見下ろしていた。〉というところに、切実感がある。



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エクリチュールの快楽 郷原 宏

  詩は自分ひとりのものだと思っているのなら、日記帳の片隅にでも記して、後生大事に墓場まで持って行けばいい。誰もそれを咎めはしない。しかし、書いたものを活字にして人に読ませようと思うなら、最低限読ませるための工夫をしなければならない。作者が読ませようとしないものを、読者が読んでくれるはずはないからだ。最近は、その読ませる工夫を欠いた、ひとりよがりの詩が多すぎる。詩人たちはどうやら、自分が誰のために詩を書いているかを忘れてしまったらしい。
今回の一次選考通過作品十五を読んで、私が多少なりとも作者の読ませる工夫を、いいかえればエクリチュールのおもしろさを感じたのは、順不同につぎの五である。鹿又夏実「扉」、草野理恵子「孤島/手の甲」、草間小鳥子「弾薬庫跡」、佐々木貴子「姥捨」、南原魚人「蛇の抜け殻」。
鹿又作品は、冷蔵庫のなかで暮らす少年と少女を、その未生の子らしい「わたし」の視点から描いたファンタスティックな作品で、設定自体はおもしろいのだが、全体に言葉足らずで、せっかくの仕掛けが活かされていない。草間作品は、廃棄された弾薬庫の弾丸が自らの来歴を語り始めるというもので、これも発想自体はおもしろいのだが、それを詩として展開していくだけの言葉の膂力が感じられない。端的にいえば両者ともトレーニング不足である。
南原作品は全文一筆書きともいうべきエクリチュールのおもしろさで読ませる作品で、日本語は詩になってさえいれば句読点なしでもすらすら読めるのだということを気づかせてくれる。その技巧は私をいたく感心させたが、残念ながら感動させてはくれなかった。草野作品は水族館のトドを介して飼育員と「私」の奇妙な交情を描いた詩で、読者をしばしその前に立ち止まらせるだけの力を持っている。だが、この作者はこの程度の作品で満足するようなレベルの詩人ではないと私には思われる。
さまざま議論の末に、結局は佐々木作品が残った。「姥捨」をテーマにしたこの詩は、親に対して被害者であると同時に、子に対しては加害者であらざるをえない女の人生を川の流れに託して描いたもので、「雨の多い人生だった」という冒頭の一行が効いている。措辞が正確で表現にムダがなく、全行が協働して重いテーマを支えている。欲をいえば、結末の部分が唐突すぎてやや説得力に欠ける。ここはいわば物語のヤマ場なのだから、もう少し丁寧に言葉を添えてほしかった。とまれ、「詩と思想」の名にふさわしい詩を得たことを、本誌の読者とともによろこびたい。

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受賞の言葉

欠落という始まり 佐々木貴子

私を埋めなければならないのです。私に与えられ、隠しつつ、隠せない欠落を、私は書くことで補わなければなりませんでした。生きるため、存在し得るために言葉で埋め尽くす。全ては欠落から始まっています。
まだ言葉になっていないことを、言葉にしていくこと。無い世界を描き切り、在る世界の問いとなること。この過程においてのみ、現象する私は完全です。書いていないときも書いているのであり、言葉は既に待っています。言葉になろうとして、今も私の中で呼吸しています。
受賞作「姥捨」において悪夢は覚醒しました。悪夢も生き物なので育ちます。止めどなく、あまたの幸せを奪った私の悪夢は、私を何処に連れて行くのでしょう。
六歳の秋です。母が「すてきなお話を書いてね」と促すと、私は何故か絵日記に初めての詩を書きました。
《うみはね。きれいよ。ままよりも、ね。かいのおとがきこえてくるわ。とてもきれいなおと。ほしのように》
幼い頃、詩も作文も絵も、表現することは全て、母を喜ばせるためのものでした。あれも遠い昔です。


佐々木貴子(ささき・たかこ)略歴
一九七〇年岩手県生まれ。山梨県在住。岩手大学教育学部特別教科(美術・工芸)教員養成課程卒業。上越教育大学大学院教科・領域教育芸術コース修了。兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科修了。学校教育学博士。二〇一二年「詩とファンタジー」(かまくら春秋社)詩部門大賞。二〇一五年「詩と思想」投稿欄入選。二〇一六年「詩と思想研究会」受講。二〇一七年「詩と思想」現代詩の新鋭。書評欄担当。「ココア共和国」(秋亜綺羅発行・編集/あきは書館)にて小詩集「学校の人」掲載。


入選作品

見えない夏 青山晴江

針先でつつかれて
無理やりこじ開けられた
小さな穴は
やがて
大洪水を引き起こすだろう
いまは その変容が
はっきりと見えないにしても

暑すぎる夏の空に
今日も雲が流れていく
うっすら ゆっくり
きのうの空と変わりなし

ほうせんかの花が
やっと咲いた 庭の隅に
荒川に埋められた朝鮮人たちの
傷口からにじみ出たような
鮮やかな朱色で
いつもの夏とおなじ場所

鳩たちがついばんでいる
太陽が照り返す畑の空き地
一羽だけ白い鳩
クックルー くっくるー
いつもとおなじ鳴き声

フリースクールの部屋
学校へ行けない少年たちが
折り紙を折っている
やわらかなちいさな指は
ときおり止まったまま
いつものように退屈そうな横顔





耳鼻科の待合室では
大きなTV画面が
笑いあってる人たちを映してる
意味のない
思考回路が空回りするような
いつものおしゃべり

日常が過ぎる
音もなく
滑り落ちていく

異状なし 変化なし
見えるものは
さして変わらないようだ
心の中など
だれも覗いていないようだ

今日は七月十一日
きょうぼうざいが
しこうされた

心で考えただけでも
罪になるという
共謀罪が
施行された

  初出『いのちの籠』第三七号 改題・追記

見捨てられた家のなかで 漆原正雄

ふたりはただ、夜明けを待つように並んで、見捨てられた町、
見捨てられた家の階段に座っている

窓の向こうの爆発音、二、三機の爆撃機が計画的に爆弾を投下しているらしい
それから機関銃の連射、線条細工のように立ちのぼる煙、焼けこげた椅子、
袖が長すぎるシャツ、つぶれたメガネ、靴はまだ見つからない

「きょうは何曜日?」「まだきのうだよ」  ふたりは手をつなぎあう

見渡すかぎりどちらの車線にもびっしりと車が連なっている、ガソリンのにおい、
けたたましいクラクションの音、置き捨てられたベビーカー、おい、道を空けてくれ!
群衆がたちまちその場にしゃがみ込みもしくは
うつぶせになり、悲鳴を上げる

「きょうは何曜日?」「まだきのうだよ」  ふたりは手をつなぎあう

きのうまで映画館だったところで子どもが泣き叫んでいる
ツバメの親子が失われた巣を探して飛びまわっている
半分沈んだ漁船が何隻も波のうえを漂っている

公共図書館にある何十万冊もの蔵書に火がついたと電池切れ間近のラジオが漏らした直後、
瓦が屋根からすべり落ちて割れる、窓ガラスが震動を明晰に映しだし、
食器棚で皿が鳴る、だからふたりは夜明けまえ、占領のまえに、
この見捨てられた家のなかで、桃の缶詰のふたを開け、
プラスチックのスプーンで、綺麗で甘い、シロップを掬う

「きょうは何曜日?」「まだきのうだよ」  ふたりは手をつなぎあう

無数の人影が夜空に向かって拳を突き上げている、時折飛びはねながら
きのうの残りの食パンが半斤、
その瞬間、階段はものしずかに湾曲する

孤島/手の甲 草野理恵子


湾の中に浮かぶ孤島の水族館には
客が一人もいなかった
空は寒々と墨色を深くし
紐のような雨を降らせ
魚たちが鰭を使って手繰り寄せ昇っていった
足元に落ちている輪ゴムは湿り気を帯び
白く変色していた

ここのトドは文字を描くはずなのだ
いつまでもトドは横になり動かなかった
「トドの芸はいつ始まりますか?」
「す、い、ぞくかん、は、へいかん、しました」
飼育員は嗚咽のような声を出した
吃音だったのかもしれない
私の目を見つめ続け
片肺を取ったためなのか体が傾いたまま

「最後のトドの芸をします」
目を見開き急にすっきりした声で言った
「トドが口に筆をくわえます」

「赤い絵の具を筆につけます」
飼育員の形が鮮明に見え
トドも生き生きと動き出した
「い、ち」誇らしげに大声を出すと
「にー」「さん、し」と小さく続けた




彼の足元が濃くなり
トドは一心に『心』を描く
私の目を水滴が覆い舞台が見えなくなった
彼と赤い心が海に放たれる音を聞いた
ゆっくりと手を取り合って沈んでいった

私は私が彼を愛していることを知っている
海に沈んだ後は
白髪頭だけがふさふさと揺れた
それが白く美しいものに固まり
海底で激しい歓喜に震えたかに見えた
本当の彼になったのだと思った

観覧席に落ちていた
劣化した輪ゴムを指にかけた
思ったより強い弾力を持ち
私の手の甲を打った
いつまでも赤く残り孤島の形になった

私はいつもそれを眺めて過ごす
彼の孤島を
彼のトドと筆と赤い絵の具と輪ゴムが残る
その島を

成人儀式 葉山美玖


母方の叔母が、喪服を着た私にバナナチップ
スばかりたらふく食べていないで、紫色のア
イシャドウをもっと濃く目元に塗りなさいと
いきなり言った。それから、焼き場から呑み
屋にいざなって、鯨のたけりが食べられない
のかとるように哂った。私が耐えられなく
なって泣き出すと、やさしく頭をハグしてく
れた。

桜が満開だったあくる日、しくしくとまだ啜
り泣いている私と叔母は花見に出掛けた。
人の群れはどこも哀しく蠢いていた。ふと気づ
くと、叔母は小さくなって、わたしのさえず
りにもうすべり込んでいた。あっと声をあげ
る間も無く、彼女の血液と私の血液は交換さ
れた。私はそれまでどこかでまだ怖れを抱え
た頑な少年だったのだ。




屋台では明石焼きを焼く音がじゅうじゅうし
ていた。私は残酷に小腹がすいたと懐の貧し
い叔母に告げた。お勘定を待って小さくなっ
て震えている私に、叔母はたまごと出汁とタ
コの味はどうだったかいとねた。美味しか
ったと答えると彼女は満足そうに微笑んで、
ふらりと沼の方角へ消えていった。明石焼き
はほんのりと舌の上できいろく甘かった。

その晩、わたしは初めて唇に深紅を乗せた。
窓の外の梟の声は、私をやさしく包むようで
ある。フローリングには脱ぎ捨てた黒い服が
無造作に散らばっている。しとしとと降る四
月の雨は、私の乳房をつよく柔らかく噛むの
であった。