第25回 詩と思想新人賞 発表

受賞作品

水ひ蛭る子この神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞 

及川俊哉

第25回 「詩と思想」 新人賞 選考経過

受賞作品 及川俊哉
「水蛭子の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞」

 一九八〇年に創設された詩と思想新人賞は、 途中約十年間の中断を経て、 今回が第二十五回目に当たる。 応募資格は 「刊行詩集二冊以内の新人に限る」 と限定し、 本年八月末日消印有効で郵送応募された詩作品 (未発表作品もしくは昨年九月~本年八月に同人誌、 詩誌、 詩集などに発表したもの) 二一〇を選考対象とした。


予備選考

 右記全作品に対し、 五名の編集委員がそれぞれ 「優秀」 と認めるものに一点、 「特に優秀」 と認めるものに二点を与える形で、 予備選考を実施。 その結果、 六点二、 五点七、 四点十となり、 高点順に十九を本選考対象作品として決定。 各選考委員のもとに送付した。

本選考

 本選考は十月一日、 高良留美子、 郷原宏、 森田進の三氏により、 本誌編集部会議室にて行われた。
 郷原委員を座長に互選。 その上で、 最初に各選考委員が自らの推したい作品を挙げたところ、 松井ひろかの作品を委員全員が、 斎藤正の作品を二人が支持した。 さらに藍川外内美、 漆原正雄、 及川俊哉、 川井麻希、 草野理恵子、 清水らくは、 橋本シオン、 八重樫克羅、 りょう城の各作品にも支持があった。 これらの作品を対象に一ずつ議論を尽くしたところ、 「詩としての骨格の完成度が極めて高い」 と評された松井作品、 及び 「古代の祝詞の文体で現代の反戦をテーマにしたユニークさが光る」 及川作品とに、 委員の評価が集中していった。 そこで一位を三点、 二位を二点、 三位を一点として再び投票を実施。 その結果、 及川作品が六点、 松井作品が四点、 草野作品と橋本作品が三点、 清水作品が二点となり、 最高の六点を得た及川作品を受賞作と決定した。 また、 最終投票に残った四作品を入選作とした。
 及川作品は一次選考で二人の編集委員が二点を入れ、 残りの三人からは点が入らなかった。 また本選考でも最初の投票では高良委員の一点のみにとどまったが、 議論を重ねるごとにどんどん評価を高め、 最後には満票を得た。
 なお、 授賞式は明年一月九日 (成人の日) に行われる 「詩と思想」 新年会の席上で行われ、 副賞として受賞者の詩集が三年以内に土曜美術社出版販売より刊行される。 (文責・一色真理)


選考を終えて

価値観を織り込んだ詩を 高良留美子

 東日本大震災後の詩には、 生命への価値観がにじみ出ていているものが多かったが、 五年半を経た今年の応募作品は、 受け身に生きていることを書いただけの、 価値観が織り込まれていない作品が多く、 失望した。
 そのなかで、 及川俊哉 「水蛭子の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞」 は、 私が今回、 ほとんど唯一推奨したい詩であった。 イザナミが最初に産んだ蛭子の話をいわば脱構築し、 憲法9条を、 葦舟で流され外国に渡った障害者が敗戦後の日本にもたらしたものとして位置づけている。 この散文詩は国が伊勢神宮などで始めている国家神道・古代神話の利用を、 障害者との共生というより普遍的な価値観によって封じ込めている。 古代神話を支配者のものから民衆のものに取り戻す試みであり、 作者のよく練られた思想と工夫の現れだと思う。
 松井ひろか 「琥珀にしまわれた一匹の蜂の目覚め」 は、 琥珀を樹の泪で比喩するところから想像を広げ、 「あなた」 に呼びかけている一種の恋愛詩だが、 カントや地名などに読者の関心を散らさず、 全体をもっと短くまとめてほしい。
 草野理恵子 「崖の家/白い足」 は、〈上の家の雨戸〉などから、 なにか現実に根ざしたドラマを含む詩だと見受けるが、 読者に伝えるには工夫が必要だ。 作者とは別の人格を 「僕」 として表現するこういう場合、 「〇〇の内的独白」 などという副題をつけるのも一つのやり方だと思う。
 橋本シオン 「ミッちゃんのネオン」 は、 新宿のネオン街の雰囲気と人間模様をよくつかんでいる。 文章もリズミカルで面白いが、 「ミッちゃん」 のつかみ方がごく一般的で表層的だ。 この女性ならではの陰影がほしい。
 清水らくは 「惑わせよ」 は、 熊本地震が背景になっている。 地震を逃れた 「私」 が〈今から逃げなければならない/何とか生き延びねばならない/常に前を向いて/常にまっすぐだったら/私はきっと折れてしまう〉と、 自分の〈まっすぐ〉を反省する。 しかし地震そのものは 「私」 を惑わせなかったのだろうか。 この〈惑わせよ〉は適語だろうか。 一点腑に落ちないものが残った。
 藍川外内美 「穴を塞ぐ」 は、 出だしがことに散文的になっている。 「穴」 にまつわるさまざまな経験が語られているが、 祖父が乗っていたゼロ戦の 「ゼロ」 を中心に、 凝縮できないだろうか。
 全体に、 「涙」 「泪」 という言葉が目立ったのはなぜだろう。 製作途中で応募したようなものも多く、 ここまでしか書けないところまで書きこんだ詩を読みたいと思う。



修辞と文体 郷原 宏

  詩が思想性を失ってすでに久しい。 現代の詩に思想を求めるのは、 八百屋へ魚を買いに行くようなものだ。 とすれば、 あとはもう修辞の問題ということになるが、 最近ではその修辞さえあやしくなって、 詩は限りなく散文に近づいていく。 今回の応募作品もその例にもれず、 私には退屈な詩が多かった。
 そのなかでちょっと新鮮だったのは、 漆原正雄の 「勤労感謝の日」 である。 言葉が自在かつ無責任に飛び跳ねていて、 読んでいてたのしかった。 しかし、 他の委員に 「ちょっと無責任すぎませんか」 といわれると、 あえて反論する気にはなれなかった。 言葉ともう少し丁寧に付き合うようにすれば、 この人はきっといい詩人になれるだろう。
 橋本シオンの 「ミッちゃんのネオン」 も、 同じ意味でおもしろかった。 いっけん無造作に書き捨てられた詩のようにみえるけれど、 じつは 「えくぼに沈んでいく」 ネオンと 「肺に染み付いていく」 ネオンの違いがきちんと書き分けられていて、 行間にしたたかなポエジーが感じられる。
 清水らくはの 「惑わせよ」 は、 意識と身体の対話で成り立っているような詩で、 「惑わせよ」 という命令形のルフランが効いている。 最初は作者の立ち位置がよくわからなかったが、 熊本地震が背景にあると教えられて、 にわかに理解が深まった。 ただし、 最後の一行だけはいただけない。
 草野理恵子の 「崖の家/白い足」 は、 設定と視点のおもしろさで読ませる詩である。 この崖に建つ上中下三段の家は、 おそらく社会的な落差や差別を意味していると考えられるが、 そんな議は抜きにして、 とにかく視覚を遮られて白い足の一部しか見えないというところに、 奇妙なリアリティとエロティシズムが感じられる。 すべての語句が詩の形成に参加して余すところのない秀作である。
 松井ひろかの 「琥珀にしまわれた一匹の蜂の目覚め」 は、 丁寧につくられた詩である。 「樹液の泪」 などという、 いささか陳腐な表現もあるが、 全体に措辞がよく整っていて、 詩の品位を感じさせる。
 及川俊哉の 「水蛭子の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞」 は、 捨てられた水蛭子の神に平和を祈るという発想の斬新さで読ませる詩である。 護憲的平和論の主題は朝日新聞の論説の域を出ないが、 それを右翼好みの祝詞の文体で語ったところにアンバランスなおもしろさがあって、 何度も読み返させるだけの力をもっている。 ただし、 初心の読者に 「これは詩なのですか」 と問われたとき、 私には 「もちろんそうです」 といいきるだけの自信はない。

表現を貫く鮮烈な視点を 森田 進

  一次選考通過作品十九を読んでいて、 技巧的、 表現力には優れていても、 作者が世界をどのように解釈しているのか、 判断しようとしているのか掴めない作品が多い。 強力に押したいという作品にめぐり会わなかった。 私は、 それでも以下の作者を念頭に入れて委員会に臨んだ。 斉藤正、 立道桜子、 松井ひろかを先頭にして、 そして藍川外内美、 川井麻希、 八重樫克羅、 りょう城、 である。
 が、 予想通り、 各委員が取り上げる作品がばらばら。
 次に二票集めた、 もしくは気になる作品を順々に取り上げて論議していったが、 選考委員が一致する作品にはならなかった。 なかなか纏まる気配がなく、 時間が堆積していった。
 その過程で、 漆原正雄、 橋本シオンの作品も論じられたが、 それぞれの特徴は認めるものの、 詩壇に送り出す新人に相応しい鮮烈さと独自の主張が弱く、 さらに押し上げる説得力を欠いている。
 そこで、 最終的には、 松井ひろかと及川俊哉の作品に絞られた。 松井ひろかの 「琥珀にしまわれた一匹の蜂の目覚め」 は全員が作品の構成、 伝達力、 技巧を認めたが、 物足りなさを感じていた。 それは私に言わせば主張 (メッセージ) が説得力を持って突き上がって来ないことであった。 正直なところ、 あと一歩なのだ。
 最終的には、 及川俊哉の 「水蛭子の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞」 が取り上げられ論議された。 題名の 「願う」 は、 「願ふ」 の間違いだろうと思うが、 意図的なのだろうか。 「蛭子」 という障がい児が取り上げられている。 被差別者が現実社会の差別構造をひっくり返し、 逆転させる力を持つ神であるという価値観に立って、 現在の原発政策を推し進める日本の権力構造を批判する詩である。 しかも神道の祈りである祝詞の文体に則っているのが痛烈な皮肉だ。
 ここまでは、 お二人の委員と同意見なのだが、 この文体を若い世代が受け入れられるだろうかというのが私の本音である。 ただし 「日本国憲法」 にルビを振って、 「ひのもとのくにのいつしきのり」 と読ませる語学的才覚には、 正直に言って脱帽した。 というわけで最終的には私も一票を投じて一致に至った。 及川氏の今後の歩みも祝福する。
 漆原正雄は、 先年も心が動いた人だ。 斉藤正の実直さも好ましいが、 もう一歩突っ込みがほしい。 立道桜子の作品は、 魅力的だが、 難点は、 思わせぶりな技巧が多い。 もっと自分の位置を見定めて、 必然的な要請としての表現を心掛けてほしい。
 新人に相応しい作品として全員が認めた地点にり着いた選考委員会であった。



受賞の言葉

現代における 「祈りの言葉」 及川俊哉


 この度は 「詩と思想」 新人賞をいただきありがとうございます。 今回の受賞は身に余る光栄です。
 福島という地方にいて詩作を続けてこられたのは、 周囲の人々に支えられてきたおかげです。 詩作の道に誘っていただいた澤正宏先生、 同人誌 「ウルトラ」 の編集を任せくれた和合亮一さん、 その他大勢の詩友に感謝したいと思います。 また、 今回の 「祝詞」 形式という一見奇妙な作品を先入観を持たずに評価してくださった選考委員の皆様にも感謝いたします。
 祝詞形式で作品を書き始めたのは3・11の東日本大震災がきっかけです。 震災後の報道の中で 「こうした震災は千年に一度繰り返されている」 という話が印象に残りました。 千年前の古代東北の蝦夷と呼ばれる人々が現代に現れたらどんな祈りの言葉を生み出すだろうか、 というイメージで何か祝詞を書き綴っています。 今回は対象を拡大して日本の現状を祝詞にしてみました。 現実の政治には疎いのですが、 思想としての憲法を考える上で、 中沢新一の 『イカの哲学』 や柄谷行人の 『憲法の無意識』 を参考にしました。
 今後もジャンルにはとらわれず作品を書いていきたいと考えています。 「和讃」 にもチャレンジしてみたい。 「アングリマーラ経」 という初期仏教のお経を和讃にしたい、 というのがいつか叶えたい夢です。

及川俊哉 (おいかわ しゅんや) 略歴
1975年岩手県生まれ。 福島大学大学院教育学研究科修了。 福島市在住。 和合亮一発行の詩の同人誌 「ウルトラ」 2代目編集長。 2009年詩集 『ハワイアン弁財天』 を上梓。 2014年ドキュメンタリー番組 「Edge」 の1本として 「語りえぬ福島の声を届けるために~詩人・及川俊哉 現代祝詞をよむ~」 が撮影・放送された。 2015年から 「未来の祀り∴ふくしま」 に出演。 2016年福島市で詩の朗読とオイリュトミーのコラボレーションイベントに出演した。

第25回 詩と思想新人賞 入選作品


















第24回 詩と思想新人賞・ (第一次選考通過作品)

藍川外内美 「穴を塞ぐ」
漆原正雄 「勤労感謝の日」
及川俊哉 「水蛭子の神に戦を防ぐ為に戻り出でますことを請ひ願う詞」
川井麻希 「収斂」
草野理恵子 「崖の家/白い足」
斎藤正 「降りる」
佐々木貴子 「ケンタウル祭の夜」
清水らくは 「惑わせよ」
進藤友佳 「裏窓の青い現場」
立道桜子 「一筋の冷静」
中之島潤 「春」
西原真奈美 「約束」
橋本シオン 「ミッちゃんのネオン」
舟橋空兎 「岩の眼」
松井ひろか 「琥珀にしまわれた一匹の蜂の目覚め」
八重樫克羅 「月夜のたくさんのちいさな蛾」
梁川梨里 「かくもうつくしきいし」
横山黒鍵 「いぶき」
りょう城 「夢」